発見する器

日常の考察、真実の追求、感性にピンと来たもの、好きな音楽。

右脳と左脳には個別の人格が存在する


  昔々あるところに若いクリエイターとそれよりももう少し若いビジネスマンがいました。クリエイターが会社を創業し、ビジネスマンは3年後にそこへジョインしました。

 


  それまではクリエイターが好き勝手にやっていた会社でした。論理思考が得意なビジネスマンが入社してからは徐々に秩序が生まれ、いろいろなルールが整備されていきました。クリエイターは安心しつつも、たまに創造性を発揮しようとすごいことをやろうとしますが、ビジネスマンは止めました。考えなしに派手なことをぶち上げるのです。ビジネスマンはその都度、論理的にクリエイターを諭しました。クリエイターは口では負けてしまうので、そのうちそういうことを言わなくなってしまいました。

 


  しかしなにかイライラするので、たまに会社で不機嫌になったり物に当たったりするのでした。そんなことをされると、その場にいるビジネスマンも嫌な気分になります。どうせ俺のやることなすことが気に入らないんだろうと思うようになりました。

 


  やがてこうしたハレーションが極限に達し、クリエイターは「数字のことは君のやり方でいいが仕事には口を出すな」と命令しました。数字のことだけにビジネスマンを閉じ込めることにしたのです。クリエイターにとって、仕事のやり方まで口出されるのは我慢ならないことでした。

 


  同時に、ビジネスマンにとってもその指示は苦痛でしかなく、彼にとってクリエイターの命令はめちゃくちゃで気まぐれでしかないと思いました。ビジネスマンは反抗を試みるのですが、クリエイターが怒ったり悲しんだりする様子を見ると、どうしても胸の奥がチクチクと痛んでしまい、最後には折れてしまうのでした。

 


  そのうちビジネスマンは考えていても仕方がないと諦め、自分に任されたことだけを淡々とやるようになりました。任されていた経理の業務は仕事と密接に関係しておりケンカになりやすいので、外注することにしました。2人はまともにコミュニケーションをとらなくなっていたので、外注先はクリエイターとビジネスマンの間を伝書鳩のように飛び交い疲弊し、「こんな仕事を請けたつもりはないんだけどな」とたまに愚痴をこぼすのでした。

 


  クリエイターにとっては好き勝手にやれる楽しい日々が続きました。ですが会社で請けていた仕事が急に滞りはじめ、非効率な進め方もたたって心身ともに疲労しはじめます。ビジネスマンに助けを求めますが、もはやビジネスマンにはクリエイターが困った時だけ頼ってくる無責任な道化にしか見えず、無味乾燥な形だけのアドバイスをしてお茶を濁すのでした。

 


  そんな日が数ヶ月続き、もうこの会社は無理だろうとビジネスマンはついに退職を決意します。しかし、いざ転職サイトにエントリーしようとすると、やはり心のどこかが痛むのです。その理由を探ろうと得意の論理思考で自己分析を試みますが、しっくり来る理由はついにわからずじまいでした。

 


  ある秋の晴れた日のこと。ここ一週間、スーツの胸ポケットに入れたままの退職願に手を当てながら会社に入ると、クリエイターが土下座していました。泣き腫らしたのでしょう。彼の目は真っ赤に充血しています。「今まで悪かった、一緒になんとか協力してやっていってくれないか」予想しなかった展開に面食らいましたが、なぜか胸に熱いものを感じました。大したことのなかったはずの二人の思い出が、急激に色を帯びてきたのです。ビジネスマンはゆっくりとうなづき、クリエイターを抱き抱えながら、「私も悪かったです、これからも2人で頑張っていきましょう」と伝えました。

 


  今後もきっと私たちは同じことを繰り返すのだろうと静かに悟りながら。

 


※  ※  ※

 


  実はここまでの話はクリエイターの頭の中だけで起こっていたことで、ビジネスマンは実在しません。この会社は1人だけが在籍する、典型的な個人事業主の法人成りの会社です。ビジネスマンは、クリエイターの瓜二つの姿をした双子のような「自分」だったのです。

 


  クリエイターは頭の中にだけ存在する論理派のビジネスマンに反抗し、縛りつけ、その結果身勝手な行動をした自分に対して謝ったのでした。経理を任せた外注も存在しません。ただ数字のことが苦手で放っておいただけだったのです。

 


  全ては彼の中だけで起こっていたことでした。

自分らしさって、何だろう?

研究室のような静かで快適な部屋

ゆるいチルなBGMがかかっていて

窓からは弱い光が差している

 


涼しそうな楽な格好をして

椅子の上であぐらをかいて座る

Macbookを触りながら

たまに別の机に移動しつつ

仕事をする

 


周囲には1人が2人の同僚

まるで研究をするように

大きな声が飛び交うこともない

互いが仕事に集中する

 


たまに会話をする時は

コーヒーを淹れて

優しげな雰囲気のなかで談笑する

 


夕方には職場を出て

自転車で家に帰る

夕日が遠くに見える

 


暗くなりすぎる前に犬の散歩に行って

少し涼しくなった夕暮れ時を楽しむ

 


たまには

商店街やお祭り、参道みたいなところを

涼しい格好とサンダルで

奥さんと一緒に歩きながら

食べ歩きを楽しむ

 


周りには楽しそうな人たち

 


休みの日、

カフェに入ってコーヒーを飲みながら

イヤホンをつけて

自分の好きな本を読む

 


姿勢を変えたり

足を組んだり

難しい顔をしたり

空中を睨んで夢想したり

手元のノートにメモしたり

 


疲れてきたなって思ったら

レシートを取って店を出る

 

 


たまには日差しの中、思い切りランニング

大きな川にかかる長い橋を

風を切りながら駆ける

しんどいけれども何かを思い切り発散する

 



人生はロッククライミングに似ている(マラソンではなく)

人生はよくマラソンに例えられるが、自分はロッククライミングに似ていると思った。

ボルダリングぐらいしかやったことはないのだが。

自分がゆっくり進んでいるときに、競争相手はどんどん進むこともあれば勝手に落ちていくこともある。

道はまっすぐではないし、たまには立ち止まったり迂回することもある。

楽なルートに恵まれた人はどんどんさくさく進んでいってしまうが、その人の道も自分の道も同じ岩肌に見えて一見違いはなさそうに思える。だから、自分のがんばり不足なような気がしてしまう。

そこには「配られたカードで勝負する」というほどの柔軟性はなく、ひたすら目の前の岩をつかむしかないような気がしてしまう。

少し慣れてくると、自分を客観的に見ることができるようになって、「回り道をしようかな」なんて考えることもできるようになるけど、でもそれもいつもうまくいくわけではない。

そんなことができるチャンスがそもそも少ない。

そして体力が一番大事。

アルファベットのカナ発音一覧

長年勉強しているが、英語がわからなさすぎる。特にリスニング。

いろいろやって、一番役立ちそうと思ったのがフォニックス

発音できれば聞ける!というやつ。

でもフォニックスの音声を聞き続けるのは苦痛だし、「唇を噛んで発音」とかああいうたぐいの練習がとても嫌。

 

なので、もうそういうのはあきらめて、邪道だと思うけどカナで発音できるように一覧を作成してみました。

 

※一息で発音するようにする。例えば「ェア」は「ェ・ア」ではなく「ェア」。「エア」ではなく「ェア」。めっちゃ早く発音するイメージ。

※「ッ」はグラップラー刃牙でよく出てくる「・・・ッッッッ!!!!」のイメージ。

※かっこは音を出さず息だけのイメージ。

  • a・・・ェア
  • b・・・ブッ
  • c・・・(ク)/(ス)
  • d・・・ドゥ
  • e・・・エッ
  • f・・・(フ)
  • g・・・グッ/ジュ
  • h・・・(ヘ)
  • i・・・ェイ
  • j・・・ジュ
  • k・・・クッ
  • l・・・リロ
  • m・・・ンム
  • n・・・ンヌ
  • o・・・ォア
  • p・・・プッ
  • q・・・クゥ
  • r・・・ゥル
  • s・・・ス
  • t・・・(トゥ)
  • u・・・アッ
  • v・・・ヴ
  • w・・・ウッ
  • x・・・クス
  • y・・・ィユ
  • z・・・ズッ

我ながら、すごいうまくできたと思っている。

 

例えば、以下のような文があるとする。

It's great to be able to take my mind off work.

 

上の一覧に照らし合わせるとこうなる。

ェイ(トゥ)ス  グッゥルエッェア(トゥ)  (トゥ)ォア  ブッエッ  ェアブッリロエッ  (トゥ)ォア  (トゥ)ェアクッエッ  ンムィユ  ンムェインヌドゥ  ェア(フ)(フ)  ウッォアゥルクッ

イ(トゥ)ス  グゥルェ(トゥ)  ブエッ  ェアブリ(トゥ)  (トゥ)ェアク  ンムィ  ンムインドゥ(フ)  ウォゥルク

 

これを読めばそれっぽく感じるはず… 

 

「こんとんじょないこ」と発音すれば、えなりくんの「簡単じゃないか」になるというのを以前聞いて、ずっとこの一覧ができるのではと思っていた。

うまく表記すれば、ひらがなカタカナでも発音できるはず!

がんばって読解&リライトしてみた。

三浦瑠麗さんのこのツイートに対して「よくわからない」という意見が多かったので、がんばって読解&リライトしてみた。

 

 まず分解してみた。

 

- 新型コロナが「有事」ならば

 - やるべき医療体制の組み直しをやらず、

 - 平時と有事のあいだのグレーゾーンの質を判断してそれに対応する能力もなく、

 - 偽りの解としての竹槍精神的な自粛要請に飛びつく政治を目の前に、

- 日本人が後世振り返るべき参照地点としての現在、

- 緊急事態宣言発出に反対しておきます。

 

複雑な構文に見えるが、要は「今は緊急事態宣言発出に反対する」というのが論旨のよう。

難しいのは、「ならば~」に続く3つの文の関係性、係り受けだろう。

 

ここをさらにかみ砕いてみる。

  1. やるべき医療体制の組み直しをやらない
  2. 平時と有事のあいだのグレーゾーンの質を判断してそれに対応する能力もない
  3. 偽りの解としての竹槍精神的な自粛要請に飛びつく
  4. (そういう)政治を目の前に

これだけ読むと政治批判に読める。ただ、問題なのは、ここでいう「政治」とは、「政府」なのか「一都三県」なのか、それぞれの責務を知らないとよくわからないことだ。

普通に考えると、「緊急事態宣言発出」を要請しているのは一都三県なのだから、「緊急事態宣言発出」に反対するということは一都三県に対して反対、つまり前述の政治批判は一都三県に対する批判と読めるだろうか。

 

ここからは自分なりの解釈だけれども、

  1. 一都三県の知事たちは「新型コロナは有事。緊急事態宣言発出を要請する」というけれど、
  2. あなたたちは
  3. コロナに対応した医療体制を整えてないし、
  4. どこから有事なのかちゃんと判断したり対応したりもしてないやん。
  5. それに、全然間違っている自粛要請に飛びついたりもしてるよね。
  6. そんなやり方を見させられたら
  7. 緊急事態宣言発出には反対しますよ。今はね。
  8. 一応言っとくけど、「今」って、日本の人々が後々この出来事を振り返ってあーだこーだ言う「タイミング」でもあるんだからね。「このときに判断ミスった」とか後でなるかもしれないんだから、そのこともよく考えて反対しておくよ。

っていう感じになるのか…?

 

やっぱりよくわからないってばよ。

コロナ禍で縮小した業界を維持するには?

コロナでいろんな業界が縮小し続けている。下記のブログによると、宿泊業、スポーツ・芸能、家具屋、レストラン・バーなど…

影響は大きい。

blog.btrax.com

 

これらの業界に属す会社やお店、あるいは人々が存続していくにはどうしたらいいのか?

こういうときには、その業界ならではの「ミニマムな価値」を考えるのがいいのではと思った。その業界が提供している最小単位の価値を考えるのである。

 

1つの例としては出版業界。

ずっと出版不況が続き斜陽と言われてきたが、一方でメディアの数はWebを含めると激増している。その結果、ライターや編集者も増えている(有象無象も含めという意味だが)。

 

出版という媒体から抜け出て、「記事」というミニマムな価値をWebなりに展開したことで波及していったのだと思う。今や企業がオウンドメディアを次々に作る時代だ。

 

「記事」は間違いなく「出版」以外でも求められていたのだ。

 

場(媒体)の制約から飛び出し、別の場でミニマムな価値をその技能を持って提供するということがポイントになるのではないか。

 

飲食業であれば、よく言われているようにテイクアウトが1つの解だろう。ミニマムな価値は「食の提供」のはず。「店」から飛び出しつつも、食を提供するにはどうしたらいいのかということだ。

 

あるいは、ミニマムな価値を「食事をする場所の提供」と考え、しっかりした衛生的な個人スペースを1時間100hで提供するというものも考えられる。そこでフードコート的に寄り合った店舗がテイクアウト形式で食を提供する。

 

昔あれだけあったタバコ屋は激減したが、自販機で販売されたりコンビニやスーパーで売られたりしてビジネスは継続されている。タバコ屋も、葉巻を扱ったりニッチな専門店として継続しているところもある。

 

宿泊業であれば、「安全な宿泊場所の提供」がミニマムな価値であろうから、そこに立ち戻る。ただし宿泊場所が必要なのは出張や旅行のときが多いが、それ自体の需要が減っている。ならばもっと価値を広げて考え、旅行者に限定しないようにする。

例えば、セカンドハウスを必要としている人、リモートワークで個人的な仕事場所が欲しい人、長期滞在者のウィークリーマンション的な場所などなど。そういう風にとらえると、価値は「安全な個室スペースの提供」というのも考えられる。

 

ビジネスホテルのフロアを丸ごと会社やグループに貸し出すのもありかもしれない。「濃厚接触者をある程度の期間だけ限定させる」というリスク減少のニーズもあるかもしれない。

 

医療のひっ迫が叫ばれて久しいが、今求められているのは「半医療」的なものではないか?治療というよりも、予防や衛生的な対応。そう考えると、「半医療+〇〇」みたいな安心を提供することも可能性の1つだ。

 

価値を提供するための「技能」や「装置」は、「場」や「媒体」が変わってもどこかで必要とされている。それは歴史が証明している。信じてもいい。

書評『タテ社会の人間関係』中根千枝

1967年に発行された『タテ社会の人間関係』を読んだ。

著者は、2001年に文化勲章を受章した東京大学名誉教授 中根千枝である。

 

50年以上前の本だが、知らなければそんなに昔に書かれたとは気づかないのではないか。それぐらい普遍的なことを書いている。

 

やや自論に固執している印象を受けたものの、「タテ」と「ヨコ」というシンプルな概念で日本のあらゆる組織を整理しており、その理論はりわかりやすい。私は過去在籍していた会社の中でいくつか馴染めなかったところがあるが、「その理由は何か」のヒントをつかむことができた。

良本だと思う。

 

個人的に思ったこと

  • 日本では会社だけでなく、あらゆる組織で「タテ」の関係がベースになっていると感じた。深層意識にまで刷り込まれており、ここを変えるのは難しい
  • リーダーシップ論、マネジメント論が日本では特殊な形をとっており、ある種軽んじられているような気がしていたが(マネジメントの重要性が語られるわりに簡単になれる)、その原因が組織構造にあると知った
  • 社交性の欠如が、外交やロビー活動に対する意識の低さ、あるいは嫌悪感を生んでいるのかと感じた。社会全体でのリソースの無駄遣い、カニバリズム
  • 昨今のいわゆる「DX」だったり、「企業間提携」だったりは、「タテ」の社会では独特の難しさがあり、まずは組織構造を変えないと難度が上がるのではないか

 

以下、章立てに沿って特に印象に残ったトピックを羅列していく。

なお、ところどころ筆者が独自の解釈や表現を加えているため、著者の理論を正確に理解するには原著をご覧いただきたい。

1.序論

序論なので割愛するが、本書では日本社会の「社会構造(ソーシャル・ストラクチュア)」を探求することが目的だと述べている。

2. 「場」による集団の特性

  • 社会集団の構成要因は「資格」と「場」である。日本人の集団意識は「場」に置かれている度合が強い(ex. 職種よりも会社名)
  • それは「イエ」の概念に代表されている(ex. 「一族郎党」という「一族」と「郎党」を分けない表現)
  • 同質性を持たない者が「場」によって集団を構成するとき、社会集団化するには「枠」が必要である(ex. 家、集落、企業)
  • 枠を強化させる方法は2つある。1つは枠内のメンバーに一体感を持たせる働きかけ、もう1つは集団内のメンバーを結ぶ内部組織を生成し、強化すること
  • このようなあり方は、一体感を醸成して枠を強化する一方で、集団を孤立させる。枠の外にある同一資格者の間に溝をつくる(ex ウチ、ヨソ)
  • よそ者意識は社交性の発達を妨げる。ローカリズムが強いということ
  • 人間関係の強弱は、実際の接触の長さ(ex. 社歴)、激しさに比例しがち。常に新入りがヒエラルキーの最下層となる
  • 勤続年数が長くなると、当該人のその集団内での社会的資本の蓄積は自他ともに明確になり、転職に対して当該人および周囲が大きな抵抗を持つようになる。転職した場合、社会的資本がゼロ、あるいはマイナスからのスタートとなる
  • 集団を去った者がまた戻ったとしても、昔日のような人間関係を持つことは不可能に近い(ex. Uターン、出戻り社員、育休明け社員?)
  • こういった日本的社会集団は、個人に全面参加を要求する。2つ以上の集団に同様のウェイトを持って属するのは困難。保身術としては低質。「場」が集団の条件のため

3. 「タテ」組織による序列の発達

  • タテ組織は「親分・子分」の関係。同一資格を有していても序列が設定される
  • この序列意識は能力主義の浸透を阻む(ex. 同期意識)
  • 大企業ほど強力な序列がある
  • 伝統的に日本人は、個人の努力差に注目し、能力差に注目する習慣は低調。能力平等感が根強く存在
  • 序列意識は意見発表の場にまでおよび、若い人々が年長者に意見をすると「口答え」ととらえられる。諸外国ではあまり見られない。討論ができにくい要因になっている
  • イギリスの大学では、教授・助教授・講師の世界と学生の世界は一線を引いて区別されているが、日本では教授・助教授・講師・助手・学生という「タテ」の関係に重きを置く

4. 「タテ」組織による全体像の構成

  • 労使関係も対立ではなく並列の関係にある。真の連帯感が伴わない
  • 日本社会では、弱き者・貧する者をそれ相応に遇するのはタブー
  • 日本社会では、上層の家々の興亡が激しい。5代以上続くのはまれ。モビリティが大きい
  • このようなモビリティは、必然的に同類を敵とする。ヨコの関係は弱くなるばかりか、邪魔な存在になりうる(ex. 同僚に足を引っ張られる、出る杭は打たれる)。同類同士での競争が激しくなり、同類の中でも「格付け」ができてくる
  • このような「並存するものとの競争」という性質は、「常に上向き」とし、人々の活動を活発にさせ、仕事の推進力となる
  • 一方で、無駄なエネルギーの浪費、社会全体でいわゆる「カニバリズム」を生む。全体で分業という意識が低い
  • いわゆる「なんでも屋」のワン・セット主義の会社を生みやすい。会社間が孤立しやすい(ex. 子会社、孫会社)
  • 同類集団とヨコにつながる可能性はほとんどない。結果、大集団に入れない同類の他の諸集団(無数の孤立集団。連帯性なし)が同時に存在する
  • このような諸集団は、より高次の活動の発展のために必要な「統合された組織」を生む力を持っていないため、必然的に他の組織(政治組織)に依存せざるを得ない。日本における中央集権的行政組織が発達した理由
  • 中央から末端まで染み透る行政網の発達は、権力に対する恐怖を植え付けた。「長いものには巻かれろ」という一方、「すべて上からの命令」というものにも生理的反発を覚える

5. 集団の構造的特色

  • タテ集団への入団の条件は、成員のいずれかに緊密な関係を設定し、その成員が他の成員に依頼することによって認められる。人間関係がベースになる
  • ヨコ集団への入団の条件は、基本的に全員の承認を必要とする。代表的なのは、成員のルールが明確に規定されており、そのルールに当てはまれば自動的に入団を強化するというケース。ルールがベースになる
  • タテ集団は開放的であり、ヨコ集団は排他的である。しかし、ヨコ集団は新参者でも他の成員と同列に立つことができる。また、内部で成員個人の位置が交換可能
  • タテ集団はエモーショナルな人間関係がベースにあるため、リーダーは固定的で交代が困難。また、一人に限られる
  • 大親分の突然の死などは致命的であり、お家騒動を必然的に引き起こす
  • また、タテ集団は「乗っ取り」か「分裂」で破局しやすい
  • 組織構造として「党中党」が作られがち。派閥が生まれやすい(ex. セクショナリズム
  • タテ集団は、リーダーから末端成員までの伝達が速い。動員力に富んでいる。集団として行動をすぐ起こさなければならない場合、議論の余地なくヒエラルキーによる力関係が優先される
  • ヨコ集団はヒエラルキーがないため、成員個々の意見が同じようなウェイトをもって押し出される。論理的にプロセスをとらないと、集団の意識決定ができない
  • タテ集団では、ヨコの連絡・調整が困難である。二集団が提携して事を行うのは構造的に難しい
  • また、二集団の「合体」は、いずれか一方による他方の「呑流」という形でしか行われない。もし「提携」が標榜されてもそれは表現であって、実際の構造を反映していない(ex. 合併の困難さ)
  • タテ集団は、リーダーが成員に突き上げられやすい構造になっている(ex. 稟議制)

6. リーダーと集団の関係

  • タテ集団の場合、リーダーは行動を直属幹部の力関係で左右されやすい。地涌に幹部を動かせるわけではなく、彼らに引きずられる。「ディレクターシップ」が欠如している。たとえ「ワンマン」と呼ばれても他の社会のディクテーターより権限が少ない
  • リーダーというよりも、その集団の代表者であり、一成員である
  • リーダー個々の能力よりも、内外の条件に支えられている
  • このような立場に置かれている日本のリーダーがリーダーシップを発揮しようとすると、「強権発動」の形をとることが多い。能力・人格が優れているとよいが、優れていない場合、集団にとって悲劇が起こる
  • リーダーと部下のミーティング・ポイント(接点)に一定のルールが存在していない
  • リーダーに仕事の能力は必要ない。むしろ子分たちの存在理由を減少するため、マイナスに考えられることもある。人間に対する理解力・包容力が何よりも優先される。リーダーに年長者が多くなる理由
  • 幹部がリーダー、あるいは部下の仕事に侵入することが容易な構造になっている。能力ある幹部は幹部のまま大いに羽を伸ばして活躍できる(ex. 神輿は軽いほどいい)
  • リーダーの能力でその集団の力を測定することはできない
  • 日本ではカリスマ的リーダーは育ちにくい。大石内蔵助的なリーダー像

7. 人と人の関係

  • ヨコ集団を成立させる「コントラクト精神」は日本人に欠如している(ex. 辞表をたたきつける)
  • 日本のリーダーの主要任務は和の維持
  • 論理よりも感情が優先される。議論や批評、真の対話が難しい