こちらの記事、非常に重要なことが書いてあって、大学生の頃に教えてもらいたかったよな、そうだよなと共感する。
一方で、じゃあこの考えで就職してある程度過ごすと、その弊害も生まれてくるような気がしている。
「外向きの体」と異なることをせざるを得なくなったとき、「見過ごす」という行動を取りがち。
会議で本質的な質問を投げかけて、でもシーンとなって誰も発言しないというのはよくある場面。あるいは、そこで「いや、みんな本心ではどう思ってるのさ?」と質問しても「体」の回答しか返ってこない場面。
そうなるともちろん話は進まず、改善や改革には至らない。
「体」はある程度パターン化されているので、どうしても短期的にメリットの少ない意見は主張しづらく、誰もボールを取らないということになりがち。「体」の間にボールがポトリと落ちてしまう。
例えば、社是が「みんなやさしく」となっていて、でも「たまにはちゃんと叱ったり注意したりすることが大事だよね。最近のプロジェクトでもそれが問題になったことあったよね」と思って発言しても、一般論としての同意は得られるけど、じゃあ推進力のある意見が集められるかと言うとそうはならない。だって、会社としての「体」と違うから。
たまに、「体」ではなく本心で語る人がいて、誰も動かなくてもその人自身に推進力があって無理やり改革を成し遂げてしまうこともあるけれど、それはレアケースだし再現性がない。往々にしてそういう人は自分だけ本気でみんながついてこない(あるいは空回り)していると思って会社を辞めるか「体」を守るようになってしまう。
でも、そういう人は推進力があったりするので、本当に変わろうとしている会社とかベンチャーとかだとそのタイプの人を獲りたがったりする。今の朝令暮改の時代だと、そういう人が重要なのもわかる。
DXとか新規事業とかうまくいかない問題もこの辺に原因があるのかなと思ったり。
果たして、就職という「入口」での「体」の重要性はありつつも、じゃあどこまで大事なんだ、ずっとそれでいいのか、そんなスタンスでこの時代やっていけるのか、、、といったところが割ともやもやする。