発見する器

日常の考察、真実の追求、感性にピンと来たもの、好きな音楽。

Tech系企業に対する違和感の正体と真のコンテンツメーカー


とりとめもなく感じた違和感に対する考察を書いてみました。


Tech系企業に対する違和感

最近のTech系企業について違和感を感じています。Tech自体に違和感を感じるというより、そこで働く人々や熱狂、Tech系スタートアップがもてはやされることに違和感を感じます。


うまく言語化できませんが、虚無感があるのです。そんなことは実際にはないし、いくつものSaasビジネスやアプリが立ち上がって情報化社会がより便利に暮らしやすくなっていることは間違いありません。ここで言う虚無感というのはあくまでも感覚的なものです。


ハードウェア作ってないから?

最初、この虚無感の正体は「ソフトウェアという見えないものを作ってるからかな?」と思いました。例えばGAFAだと、Appleは違和感があまりありません。実際に触れられるものを作っているからかもしれません。彼らをメーカーと言っても間違いではないでしょう。


ただ、Facebook/Instagramはメーカーではありませんし、あくまでもプラットフォームを作っている認識です。SNSの面白さは、プラットフォームではなく、あくまでもその上に乗っかるコンテンツにある、と。承認やシェアがしやすい仕組みというのはありますが、感動をすることはありません(もちろん、メタ的に仕組み自体のすごさに感動することはあります)。


Amazonも、商品に対して喜びを覚えることはあっても、その購入体験やプラットフォーム技術に対して(すごさや驚きを感じることはもちろん多いですが)本質的な感動を得られるかと言えば否。もし「商品が全くない状態のAmazonに感動するか?」と言われると、しないと思います。


こう考えると、最初に挙げたAppleも、iPhoneはすごいですが、アプリが1つもなければ、開封時に滑らかなプロダクトデザインを見たときの感動しかなく、一瞬で飽きるでしょう。


ということは、プラットフォーム上に乗っかるコンテンツが直接的な感動を与える正体である、と言えるのではないでしょうか。


ただし「コンテンツ」ではない

ここで「コンテンツ」と言いましたが、おそらく正確な言葉ではありません。デジタルr領域でのコンテンツと言えば、記事、動画、音楽、ゲームなどを一般には指すと思いますが、私が言いたいのはさらにその媒介を通じて得られる”中身”のことです。ゲームアプリ自体(要はソースコード)に感動することはなく、そこで表現されたものを通じて感動を得ることになると考えています。


マリオをやっていて面白さを感じられるのは、計算された巧な操作感や簡単すぎないコース、自由度、キャラクター、ストーリー性など様々なものを統合した結果であって、それぞれ単体ではすぐに飽きてしまうでしょう。


なので、正確に言おうとすると、「コンテンツ」という言葉は広すぎると思っています。「世界観」と言い換えてもいいかもしれません。


究極にはすべてのソフトウェアがプラットフォーム

ゲーム以外に、コンテンツと統合されたソフトウェアを私は知りません。すなわち、必ず「入力」があったうえで、「感動」という「出力」がある。


ゲームも厳密にはゲーム外のものがたくさん混ざっていると思っています。つまらないチュートリアル、ローディング、メーカーロゴはもちろん、プレイ時の反復的な操作、つじつま合わせのみの展開などはゲームを構成するものであっても、ゲームの楽しさの本質ではないと思っています。


Youtubeでさえ、動画再生までに操作(入力)が必要である。そこから得られるコンテンツ自体は、旧来の動画と基本的には変わらない。


したがってソフトウェアビジネスは、人間というリアルな存在とコンテンツをつなぐデジタルインタフェース、つまりプラットフォームの開発であると言えるかなと思いました。


プラットフォームは便利さが最上位

noteでさえ、当たり前ですが、プラットフォームです。


それはあくまでもオマケであって(でもビジネス的な本質でもあるのだけど)、そこでどんなコンテンツを書くか/読むかが、ユーザーとしては一番重要です。でも究極的には、そこにnoteが直接貢献することはできません。


最近のライターの隆盛/衰退も合わせて考えるとわかりやすいかもしれません。昔ながらのライター、つまり出版社にやとわれ、署名原稿ではなく、誰かのインタビューや編集記事を書くライターは、一次情報を扱うわけではないので厳しいでしょう。


しかしそのインタビューされる側が衰退しているとは聞きません。あるいはデジタルメディアで著名な活躍をしているライターも多くご存知でしょう。「出版業界が衰退していてライターも厳しいと聞いているのに、羽振りのよさそうなライターが多いじゃないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。


それは、「自身が一次情報を発信しているか」によると思います。発信できていれば活躍しているはずです。いわゆる編集者であっても、0.5次情報に対して価値あるいは文脈を付加し一次情報とすることができれば活躍しているはずです。


「一次未満の情報を一次情報にする」そういった能力をお持ちの方々、あるいは会社が、虚業ではなく真のコンテンツメーカーと言えるのかなと考えました。そこには「統合」という概念が大事かもしれません。


真のコンテンツメーカー

例えばゲーム会社であったり、マンガ家であったり。あるいは自動車メーカーも真のコンテンツメーカーになっているかもしれません。自動車が誕生した端緒は馬車の代替にあったと思いますが、時代を経て洗練され、もはや自動車自体がコンテンツとなりました。


※成熟されたコンテンツは二次創作がある。逆説的に言うと、「二次創作が行われるものがコンテンツである=感動を与えている」と言えるかもしれません。Facebook自体を二次創作したものは見たことがありません。


そういったものを手掛けることは、私にとって手応えがあるのかもしれません。


プラットフォームビジネスの行き着く先

プラットフォームビジネスの道筋は「便利」にあると思っています。最終的には「その存在を意識しない」に落ち着くのではないでしょうか。ゆくゆくは、あるいは既になりつつあるかもしれませんが、石油やガスなどのインフラ会社と同じようになりそうな気がしてなりません。


Tech業界の現在の熱狂とインフラという静的な本質、その2つの違いが違和感を生み出しているような気がしました。