発見する器

日常の考察、真実の追求、感性にピンと来たもの、好きな音楽。

街からは出られない

 私の名前は吉備田という。この街では珍しがられる名前だ。家族以外で同じ名字の人に出会ったことはない。曾おじいちゃんの代に、東北のほうから喜与町に移り住んだと両親に聞いた。

 わざわざ私が自分の名前を言い、自分のルーツを紹介するのは、それがこれから語る話の発端となっているからだ。

 この街に住む人間は、躁鬱が激しい——そのことに気付いた理由は、そもそも私が「外から見る眼」を持っているからだと思われる。喜与町の住人ではあるが、僕は常に、この街の外に出ていきたいと願っている。物心付いた時からだ。きっかけは何だっただろうか――詳細に覚えてはいないが、大方、青少年らしくテレビや雑誌を見て広い世界に憧れた、といったところなのだろう。あのくらいの年頃だと、たいていの人間が覚える感情ではないだろうか。

 私が少々特殊なのは、その感情が30歳を過ぎた今でも同じように持続していることだろう。まるで子供のように、街の外に出たいと願い続けている。それは逆説的に、そう願いながらも、30年間、外に一歩も出たことがない、という事実を示している。

 長年そういった鬱屈した思いを抱き続けた結果、私はこの街のことが嫌いになった。

 いや、もともと好きではなかったのかもしれない。

 そうなった当然の結果として、喜与町と私の間には精神的に距離ができ、私は街の住人たちの志向・行動を冷静かつ客観的に見ることができるようになった。

 この街には、私のような「外に出たい」という願望を持っている人は僅かだ。

 確か、小学生ぐらいの時には、周りの皆もこの街の外に出てみたいなどというようなことを言っていたはずだが、成人した今では、たまにぼやいたり、冗談まじりに話したりするぐらいで、本気でそんなことを考えている人間は私の知る限りいない。友人たちは皆、この街で一生を過ごすことに何ら疑問を抱いていない。この街を出て行ったという人間も、十年以上前の出来事である御伽噺のような噂以外、聞いたことがない。これは、地方の衰退が叫ばれている現在の一般常識に照らし合わせると、かなり不可思議なことのはずだが、私の身の回りで喜与町を出て行くことが会話のテーマに上ることはまずない。

 なぜだろうか。

 なぜ、この街の人間はずっと留まっているのだろうか。

 そして、なぜ皆そのことに疑問を持たないのだろうか。