発見する器

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対立構造の罠と問題解決の究極の方法

ある高校で、文科系クラブが体育館を占有し練習ができないということで、体育会系クラブが結集して組合を作った。運動部がちゃんと練習できるように、せめて半分は運動部が場所を確保できるようにするためである。

それに対抗して文科系クラブも自分たちの場所を守るため組合を作った。練習場所を減らされては現在の活動に支障が出るし、新たな場所も確保しなければならない。運動部はそれほど実績を残してないから今までどおり自分たちを優先すべきだ。

運動部は部活の数、文化部は実績の数を基準にすべきだとそれぞれ主張したのである。

二つの組合とも互いが譲歩しないために活動が活発化していった。週一回の強制ミーティング、組合報の発行、組合人数を増やすための新入生獲得活動、それらにかかる予算の徴収など。対立は激化し、部活動全体に占める組合活動の割合も増えていった。

この結果、損するのは誰か?

互いの組合組織の下層にいる者たちである。彼らは部活動へのモチベーションが低い者とも言い換えられる。組合活動に駆り出されても、練習場所の確保ということにはさほどメリットを見出せない者たちだ。新入生もここに含まれる。帰結として、全てのクラブの人数は減っていき、学校全体の部活動のレベルが下がっていく。

では得するのは誰か?

組合組織の上層部である。彼らは自分たちの理念の達成のために戦うことができる。トップダウンで下層の者たちに指示を出すことができる。大義名分を盾に税を徴収することができる。

この構造が長年続くと、争っている二つの組合は互いの存続のために互いを必要とするようになる。それはイコール大義名分が絶対に達成されないということと道義である。

かくして、生まれるべきではなかった対立構造と組織が学校の中で存続してことになる。

どこで間違ったのか?

  • 練習場所を増やそうとした時点?
  • 組合を組織化した時点?
  • 活動を活発化して下の者に負担を強い始めた時点?
  • 下の者たちが辞め始めた時点?
  • 上の者たちが権力を意識し始めた時点?

対立構造が組織化された時点で前記の運命をたどるのは決まっている。つまり不良漫画でよく描かれるタイマンで決着をつける場面は、実は合理的な判断なのだと言えるのかもしれない*1

 

 

このように対立構造が出来ると、組織全体に悪影響を及ぼすことは想像に難くないが、

とはいえ現実的には対立した組織が一つの問題だけを議論していくということはほとんどなく、多数の問題や利害が絡み合うことになる。

  • 吹奏楽部は体育館を必要*2としているが、半数以上の文科系クラブは部室内で活動している
  • 野球部やテニス部も同様に、体育館はあってもなくてもさほど変わらない
  • バスケ部のキャプテンと吹奏楽部の副部長は付き合っている
  • バレー部は体育館を必要としているが、そもそも人数が少なく試合に出るのもままならない状態である
  • 週末は高齢者グループに体育館を貸し出すという学校側の案があり、これには文科系、運動部かかわらず体育館を使う部活のメンバーが反対している
  • なぎなた部は「練習場所が増えるかもと言っても、どうせ自分たちは軽視されるだろうからこんな争いに関わりたくない」と思っている
  • サッカー部は本件にあまり関係がないが、バド部と仲が良いため積極的に関わろうとしている
  • サッカー部はイケメンが多く、全校の女子に影響力がある

本件の例で言えば、こういった種々の問題が考えられる。

ということは、組合を組織したところでこのような様々な問題が噴出し、一枚岩ではいかなくなることがあらかじめ確定的なわけだ。体育館をメインで使うバスケ部と吹奏楽部だけで争ってほしいとは大半の部が思っているものの、影響が多方面に出そうなことから関わらざるをえない。

これは問題を「組合による運動部全体、あるいは文化部全体」というマクロ的な視点で解決しようとしたことが原因であり、ミクロな視点のまま置いておけば顕在化しなかった。ミクロな存在をマクロ化して組織化してしまうとやがて対立構造が生まれ全体として悪影響が生まれる。せいぜいマクロな組織を運営するのは期間限定、一か月とかに絞ればいいのではないか。そうすればその間に噴出するミクロな問題には目をつぶり、マクロな問題の解決に力を注ぐことができる。あるいは組織化はせずに問題意識のみを共有するとか。中央集権ではなく各個人がつながる形にするとか。有能なリーダー1人に判断を任せるか。

——どれも難しそうだ。有史以来人類はこの問題を解決できていない。

 

 

ただし創造的なアイデアがあれば別かもしれない。例えば、体育館を増床するとか。そのとき、現状のままでいいとする既存勢力にいかに対抗するかがポイントになってしまうので結果的に堂々めぐりの感も。

最近の情勢を見ていると、どうも人類は有能な「ビッグボス」についていく方向に進みそうだ。そのビッグボスとは人工知能であり、人工知能に答えを出してもらうのが今のところ唯一合理的な方法に思える。しかしこれは人智の及ばない判断という意味で、じゃんけんで決めるのと何ら変わらないような気もする。

*1:しかしその場合、文化部は運動部に決して勝てないであろう。

*2:吹奏楽部が体育館で練習しないだろうという指摘は置いておく