「社会の窓」が開いている男性を目の当たりにする状況は唾棄したくなるほど嫌悪感を催すものだが、実際にはその隙間から何かが垣間見えていることはほぼない。ジッパーがそこまで大きく開くわけではないし、ズボンの生地の立体感が中のものを幾重にも隠している。ただ、「オープンである」ということを知覚するだけだ。下着がモロに見えることはあまりないし、その布の下にあるものが露出していることなど普通はあり得ないのだ。
では、何がそこまで我々に嫌悪感を覚えさせるのか?
瘴気である。
普段は閉じて隠されし秘めたる部位を、我々はそこに見る。中身の姿はわからない。だが、何かがあるのは理解できる。それが瘴気を放つのである。
瘴気というのは、その物自体が放出するのではなく、秘めることで放たれるものなのだ。
神殿の奥深くに何重もの結界で守られた古い神器、土中に埋めた棺の中へ思い出とともに封じられた遺体、一般人には開陳されない謎の秘密結社の幹部だけが集まる定例会、ただならぬ怒号が毎日響く隣家の家族、会社の給湯室で女子社員が囁かれる真偽不明の噂話、そして社会の窓の奥に秘められた、ここぞという時のみに使用される懐刀。
瘴気を放つそれらを見ると我々は開陳して浄化したい衝動と戦うことになるが、それは簡単には叶わぬ夢である。
外界に向けて開いた社会の窓。
我々はそこに瘴気を感じ取り、さらには見果てぬ夢のロマンを見ているのである。